霊山寺の石仏群(伊賀)
山道に点在する石仏群を見ながら歴史を思い、霊山への登山は如何ですか。霊山山頂(765.8m)に平安時代~江戸時代にかけて一大伽藍あったとされています。
山道に点在する石仏群を見ながら歴史を思い、霊山への登山は如何ですか。霊山山頂(765.8m)に平安時代~江戸時代にかけて一大伽藍あったとされています。
櫟野寺の日本最大坐仏十一面観音坐像が初めてお寺から出される記録画像です。この後、東京国立博物館へと向かいました。貴重な記録です。
油日神社に残る聖徳太子絵伝4幅の解説動画です。本絵伝は経年劣化が激しく、現時点では公開されていません。
本像は、像高38.7cmの一木造です。 宝冠をかぶり、定印を結ぶ阿弥陀如来坐像です。 納衣をつけ、胸前にU字堕に開くところに、様式的特徴があります。
金勝山の大津市との境界に近いところに、狛坂寺跡と向かい合うかたちで、大きな花崗岩の磨崖仏があります。高さ約6m、幅3.6mの壁面に高さ3メートル、顔幅70cmの阿弥陀如来坐像を中尊として、観音・勢至の両脇侍を刻み、その周囲に12体の仏像が半肉彫りされています。
木造十一面観音及び両脇侍立像は、国の重要文化財の指定を受けています。 中尊の観音菩薩像、脇侍は,不動明王・多聞天という天台宗の三尊形式をとっています。
本像は、像高103.2cm、檜材一木造の彩色立像で、舟形唐草の、光背を負い、三重の蓮華座上に立っています。動きを巧みに現す手法がとられています。平安後期の造像と考えられています。
檜尾寺は伝教大師の開基と伝えられ、往古は二十八院六坊を有する大寺であったと伝えられています。神仏分離以前は隣接する檜尾神社の神宮寺で、観音堂に安置されていた仏像です。
滋賀県長浜市木之本町金居原に存在する銅山跡 明治年間に発見され、昭和年間中期まで採掘が行われてきた銅鉱山跡です。